創設者

創設者の惟覚安公大和尚は四川省営山県の人。字は知安、法名は惟覚。一九六三年、基隆の十方大覚禅寺にて上霊下源長老の下で剃髪して出家。後に台北万里の山中にこもり遁世し、十余年にわたって修行に専念されました。産業道路の開通にともない、惟覚和尚の名を慕って訪れる者が増え、信徒の切なる願いに応えるため霊泉寺を建立。その後、弟子数の激増を受け、二〇〇一年に南投県埔里に中台禅寺を建立されました。
惟覚和尚は「三環一体」「中台四箴行」「仏法五化」の教化理念を掲げ、これらを仏法発揚の目標と修行の準則として中台禅寺の宗風を確立されました。このうち「仏法の五化――学術化、教育化、芸術化、科学化、生活化」は現代社会における仏法発揚の指針であるとし、仏法の豊かな内容を伝えながら、人々に様々な角度から仏法に触れてもらうことで真理へと導き、人々が本来具える慈悲と知恵の啓発を目指しています。
多年にわたり、創健者の惟覚和尚は仏教芸術の保存と発揚に力を尽くされてきました。中台禅寺は二〇〇六年と二〇〇七年に仏教文物展を開催するなど、台湾と中国の芸術、学術、宗教などの文化交流を積極的に推し進めています。二〇〇九年、中台山博物館の落成は各界の大きな反響を呼び、その翌年には中国の西安碑林博物館より原碑の拓本一千二百七十三点を獲得し、収蔵品を充実させました。そして二〇一二年、収蔵文物を全面的に展示し、さらなる教化を実現するべく、中台世界博物館が着工しました。
中台世界博物館の建設は、まさに「仏法の芸術化」の願行を表すものであり、創設者惟覚和尚の芸術をもって世を感化し、大教を広めるという悲願でもあるのです。「無情説法有情聴」(無生命の説法を命ある人間が聴く)とあるように、木や石、金や銅、或いは筆墨や絵画などは形こそ異なるものの、千年の時空に阻まれることなく人間との対話を続けてきました。本博物館は創設者が提起した「仏法を弘め、歴史、文化、教育、芸術を保存」の理念を携え、仏教芸術と中華文化を発揚し、文物による感化を通じて知恵と善、覚悟の種を播いて広められ、人心の浄化と社会の安定に寄与することを願っています。